何故考えた?着物整理帖を作るという事! 2⃣

子供が出来、子育てに追われるようになったら、子供の服を縫ったりはしていたけれど、着物はすでに遠い存在となっていった。

そしていつの間にか、「私の人生で、もう着物と関わることはない」という確信にも満ちた感覚を持っていた。

③ 着付け教室発見

しかし、ある日仕事のお休み日に着付けのお稽古ができる、という教室を見つけてしまった。

それは、自分で着ていた時から30年以上の月日が過ぎていたある日、偶然に目に止まった物だった。

子育ても終わり、勤めていた仕事をそろそろ終わりを迎えようとしている時と条件は揃っていた。

④ 着付け講師へ

そこから再度のスタートとなって、10数年。

生徒から講師へ、国際交流部の立ち上げ、そして会の理事までも。

初級から上の方のクラスまで1000人以上も抱えているかなり大きな組織であった。

1クラス10名以上。多いクラスでは、30人以上という教室に、何年やっても付いていけないで悩んでいる人もいる。

悩みながらも、仲間との出会いを楽しみに頑張っている人もいる。

⑤  会の理事にもなり

講師をしながら、公益社団法人の会の運営のための理事を拝命し、国際交流部を立ち上げる。

外国に行き大学生に振袖、紋服を着つけて、ショー仕立ての催しを行ったり、

日本にいては、数校の大学の留学生や組織団体で招聘した留学生などへの振袖の着付け、

自治体の国際交流協会などの在留外国人の方のお祭りイベントでの振袖(年齢問わず)の着付け等、

大変ではあったけれど、楽しく、満足のいく仕事(殆どボランティア)をやらせていただいた。

⑥ 何かが違う!?

しかし、何かが違う。

その組織のトップは実力者として素晴らしかった。カリスマ性もあった。

着物に対する造詣も深く、いろんな事が学べた。

しかし、反面実にワンマンであった。周りで絶対おかしいいといってもお構いなし。

それまでも むしろ反対者を阻害して追い出すという手法で、その独裁体制を維持してきたということも耳にする。

そしていつしか周りには裸の王様のごとく、おかしい事をおかしいと直言する人もいなく、

むなしく相槌を打つ人だけの集まりと化してしまっていた。

一人でそこで頑張っても無駄だと悟り、その組織を出る決心をする。

⑦ ではその組織を出て、どうする!?

教室は、「絶対にやってはならぬ」「着付け習いたい人がいたら、会に紹介すべきでしょう!!」といわれて辞めている。

教えるにしても、表にばれないようにやらねばならぬ。厳しい条件である。

東京オリンピックも決まり、着物への関心も強くなってきた頃であった。